細菌性心内膜炎に伴う弁輪膿瘍により冠状静脈洞破裂をきたした症例のイラスト作成過程
以下の内容は、第1回日本メディカルイラストレーション学会にてポスター発表し、学会雑誌第1号に掲載したものです。(日本メディカルイラストレーション学会雑誌 2018, 1: 83-86)
1 はじめに
病理医としての業務に病理解剖があります。病に倒れ、治療の甲斐なく死亡された方のご遺体を解剖し、病態の理解と死因の究明を行い、治療の効果を判定する仕事です。
今回、心臓周囲に多量に出血し死亡された方の解剖を担当しました。解剖の結果「細菌性心内膜炎に伴う弁輪膿瘍により、冠状静脈洞の破裂を来たした」ことが原因と判明しました。これは血液中に入った細菌が心臓の弁に感染して増殖、弁を破壊しながら周囲に膿(膿瘍)を形成し、弁の背後を通っている心臓の静脈を破壊。その結果、心臓の外に大出血したという状態でした。これまで文献的にも殆ど報告されていない稀な病態であり、わかりやすく表現して共有する目的でイラストを製作しました。
2 ラフスケッチからドローイング
まず病態を時系列でわかりやすく表現するためにどのような構図が良いかを考え、完成図のラフスケッチを描きました(図1)。

次に心臓の大まかな立体構造と表面の質感・色味を理解するために、ドローイングのための資料を収集しました。複雑で繊細な心臓の構造を把握するために、役に立つ画像資料を医学書やネットから集めました。自分で解剖した時に撮影した写真を含め、最終的には合計150 枚となりました。これを元に詳しい心臓内部の構造のドローイングを約100枚繰り返し、かたちを頭に叩き込んでいきました(図2)が、その過程は楽しくも試行錯誤の連続でありました。

私が病理医として病理解剖を行う際には心臓を摘出後、両手で触れながら観察し写真を撮り、割を入れて内部をじっくりと観察しています。そのため心臓の構造は比較的よく理解しているつもりでした。しかし実際に描いてみると、想像以上に描けないことに愕然としました。正確に描こうとすることで、浅い理解にとどまっていたことを強く自覚させられました。
特に摘出した心臓をホルマリン固定した後、連続的に輪切し、それを並べて撮影した画像を見ながら描く過程では、たくさんの発見と驚きがありました。日頃、病理医としては病気の部分の解明に集中する習性があるが、イラストを描く場合には、正常な心臓の形の成り立ちや各部分の関係を理解することが重要になることに気がつきました。次々と知りたいことが出てきて、ドローイングテーマも増えていきました。
3 製作環境
- コピー用紙、鉛筆
- アピカ社 プレインペーパーノート
- 寺西化学工業社 ラッションドローイングペン
- desk top PC (Lesance, corei7)
- EIZO monitor (FlexScan 21inchi)、
- WACOM pen tablet Inchuos4
- Photoshop、illustrator
4 構図の決定、ライン入れ
病巣部が正面から見やすいように、心臓を斜め後ろから見たアングルで構図を決め、パースを合わせるように注意しながら最終的なスケッチを行いました。これをスキャンし、各パーツの比率や絵としてのバランスを整えながら線画に起こし、最終の描線を決定しました(図3)。

5 photoshopによる着彩過程(陰影合成法、グラデーションマップ)
ここからphotoshopでの作業に入りました。まず心臓のパーツを6つ(心室、心房、肺動脈、肺静脈、大動脈、僧帽弁)に分け、別々のレイヤーにした上で作業を行いました。これにより正常な構造と、変化をきたした部分(僧帽弁と冠状静脈洞)を個別に描くことができ、組み合わせを変えることで複数のイラストが効率的に作成できます。
今回は初めての試みとして、固有色と陰影を一旦、白黒のモノトーンで描いた後で、photoshop上で色彩に変換する方法を試みました。さらにモノトーンでの描写を1枚の絵で完結させずに、光を「包囲光」「投射光」「辺縁光」の3つに分解し、それぞれの陰影を描いた後で合成する方法(陰影合成法)も試しました (図4)。

これはネット上の描画技法の情報から工夫したもので、目の前に実物のモチーフが存在しない場合に、光と影を理解しやすいように3種類に分解して描くことで試行錯誤を少なくする方法です。現実の環境に存在するモチーフは、非常に複雑な光と影の関係性を持っており、想像でリアルに表現することは難易度が高くなります。光を単純化して描き、後でコンピューターの力を借りて合成することで、任意のアングルと光源の設定の中でも、自然なニュアンスで再現しやすくなるのではないかと考えました。
私が考える「包囲光」とは、一般に環境光とも呼ばれ、モチーフの存在する場の大気中に乱反射した「包み込む」光のことです。次に「投射光」とは、1箇所の光源からモチーフに照射された光です。「辺縁光」とは、モチーフが接する面や大気との関係の中で起こる反射やボケなど、辺縁に起こる光学的変化のことです。
これら3つの白黒の画像を合成した後、色彩に変換しますが、今回はphotoshopのグラデーションマップ機能で色彩に置き換える手法をとりました。これは白黒のグラデーションを指定した色調のグラデーションに置換できる機能です。この際も一回の置換で完成させるのではなく、ピンク系、黄色系、紫系の3色を作成し、それぞれの比率を変えて合成しながら最適な色味を探索しました。目標としたのは、からだの中で生きた状態にある心臓・大血管の色味でしたが、再現するのに四苦八苦しました。ともすれば死後の状態に近くなってしまいます。「酸素化した血液の色味になれ」と念じつつ作業を進めました(図5)。

6 病態の理解と表現
全体の色と質感が決まったら、今回の主役である弁(僧帽弁)を描きます。表現したい病態である細菌性心内膜炎は、弁に細菌感染をきたすことにより弁が融解し、閉鎖不全症などの機能不全に陥李います。通常は細菌の塊が血行性に飛んで脳梗塞などの原因となりますが、今回は以下に述べる特殊な合併症で死亡されました。弁を融解させた細菌が弁の周囲にまで浸潤し(弁輪膿瘍)、僧帽弁の後ろ側を通る心臓を栄養する血管である冠状静脈洞を破壊。大出血をきたし、血液が心臓の周りに貯留して圧迫。心停止に陥りました。
まず正常な僧帽弁を描いていきます。解剖学的に正しい位置、傾き、大きさになるように注意します。心臓内部へのパースの狂いは、専門家には簡単に見破られてしまいます。破裂した血管(冠状静脈洞)との位置関係にも注意し、これらを不自然にならないように配置しました(図6)。

次に病巣部である弁の感染と融解を描きます。実際の感染弁の病理写真を見ながら、炎症・膿瘍形成・弁の破壊・周囲のうっ血の状態をリアルに描いていきます。一目でわかりやすいように誇張も行いました(図7)。

今回は弁の破壊が経時的に進行する様子を、3枚のイラストで表現しました。また膿瘍が進行していく方向が、血管(冠状静脈洞)の破裂部に向かうように注意しました。
直径3cmに満たない僧帽弁ですが、弁の一つ一つの出っ張りやくぼみにも名前がついています。これまでに積み重ねられてこられた医学研究により、弁の形態情報は膨大かつ詳細であり、循環器系が専門ではない私にとって、それらを紐解くことは背筋を正される思いと同時に心躍る経験でありました。弁を引っ張る腱索が心室のどこに付着しているのか、その走行する方向にも注意しました。
描きこむ過程でも新たな疑問が出てきます。弁の基部と冠状静脈の距離はどの程度か?その間に心筋は存在するのか?弁と左心房の内壁は連続しているが、どのような形状でつながっているのか?。これらの疑問を都度、資料に立ち戻って確認しながら描き進めました。
7 画像の合成から完成
完成した5枚の画像をillustrator上で時系列に配置し、テクストとサインを入れて完成としました(図8)。振り返って不満足な点として、一つめは心臓表面のテクスチャーの表情(肌理やざらつきなど)が不足していることです。のっぺりとしてモノとしての存在感、実体感が乏しいです。二つめは全体の構図に動きがなく、ダイナミックな病態を表現できていないと感じられることです。メディカルイラストレーションは医学的に正確に理解されることが第一の目的ですが、一枚の絵として人の目を引く力を与えられるかどうかを、私は大切にしたいと思っています。これらの反省を次回に活かしたいです。

この作品は患者の主治医であった救命救急科の医師により、学会発表のスライドに使用されました。また佐賀県医療センター好生館が発行する医学雑誌「好生」第54巻1号の表紙絵として採用されました。
今回の製作で、コンセプトに基づいた一枚のイラストレーションを作るワークフローを、自分なりに理解することできました。これを優れた作品を読み解く力につなげ、さらなる向上を目指したいです。
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