日本のメディカルイラストレーション事情と学会誕生までの道のり
以下の内容は、第1回日本メディカルイラストレーション学会にて講演し、学会雑誌第1号に掲載したものです。(特別講演4「世界のメディカルイラストレーション事情と日本メディカルイラストレーション学会誕生までの道のり」、日本メディカルイラストレーション学会雑誌 2018, 1: 25-39)
1 日本のMi界の現状
現在、日本でメディカルイラストレーターとしてキャリアを継続している人は何人いるのか、という疑問に基づいて、私がネット検索や個人的に知ることができた人数は約50名でした。この中には医学系出版社と契約を結んでいるがネット上に名前が挙がっていない人や、副業としてMiを制作しているイラストレーターは含まれていません。
現在アメリカでは約1000人のイラストレーターが働いているとされています。日本の医学・医療そのものは欧米と比較して勝るとも劣らない現実を有しているにも関わらず、Miに関する現状の差は大きいです。この差はどこから生まれたのでしょうか。

原因の一つを宗教文化の違いに求める見方もあるでしょう。現在Mi活動が活発な国の多くはキリスト教文化圏に属しており、日本は仏教・神道文化圏に属します。しかし日本の古典文学には絵物語の伝統があり、江戸時代には解体新書を表した小田野直武や、医師として詳細な解剖図を描いた南小柿寧一らが知られ、2015年に開催された「医は仁術展」15)において示されたように、当時の一般庶民にも人体内部の図画化は受け入れられていたと考えられます。おおむね日本の宗教文化が医学の図画化を否定するものではなかったことがわかります。
近代の大学医学部では画工と呼ばれる図画化の専門家が働いていたとされ、第2次大戦後に発行された外科学や解剖学等の医学書には多くの手描きイラストを確認することができます。一方で現在、ベテランイラストレーターとしてキャリアを重ねている人は数える程であり、職能団体は存在していません。
写真やビデオの普及、CTやMRIなど医用画像機器の発達がかつての図画化の需要の多くを置換したことは間違いないと思われますが、現在の西欧諸国でのMi分野の興隆を考えると、これのみを格差の理由とすることはできません。
私のこれまでの調査では、日本の近現代史におけるMiに関する団体のまとまった活動記録を認めることは出来ませんでした。サイエンスイラストレーション研究者である有賀雅奈先生の調査16)によれば、1958年に日本理科美術協会が発足しているが、生物学・自然科学を主としたもので、現在メディカルイラストレーターは所属していません。はたして団体活動につながる動きはなかったのでしょうか。
2 過去に団体が発足するチャンスはあったか
史実を振り返る中で、私は少なくとも過去3回ほどチャンスがあったのではないかと考えています。順に説明したいと思います。
3 団体発足のチャンス ①
一つ目は、1889年から東京藝術大学の前身である東京美術学校で森鴎外、久米桂一郎により美術解剖学の研究・指導が開始された時期です。当時は医科大学の解剖学教室での見学も行われていました17)。この時に疾病・病理、治療など医学分野の図画化に、美術界と医学界が協力して取り組む態勢が始まる可能性はあったのではないでしょうか。しかしこれまでにその記録を見つけることは出来ていません。
1872年の「医制」発布により公的な近代医学の導入が始まりましたが、これは当時すでに産業革命と資本主義による国家形成を成し遂げていた西欧列強国に追いつかんとする、官主導の近代科学導入の一環でした。
富国強兵政策のもと、日清・日露戦争、第一次大戦、日中戦争、太平洋戦争と続く戦乱の時代に突入。敗戦後、GHQによる間接統治につながる歴史のうねりの中で、医療を必要とする人々は膨大に存在したはずですが、国家として危機を乗り越えることが優先され、医療界・美術界ともに長い間、人的資源・経済的土台ともに貧弱であったことが、協力体制が作られなかった大きな原因と考えられます。
アメリカでは大学医学部初の麻酔学教授の誕生が1904年であり、その後外科手術が急速に発展する中でマックス・ブレーデルが慈善家の寄付を基にメディカルイラスト学科を設立したのが1911年であるのに対し、日本では東京大学に初めて麻酔学講座が開設されたのは1951年でした18)。
戦前・戦後の時期にMiの制作は各地で散発的に行われてきました。「医は仁術展」に見られたように、医師と美術制作者が協力して医学生教育用の教材を作った事例もみられ、今後これらは、日本におけるMiの歴史資料として体系的な総括が必要です。しかし今日に至るまで美術界と医学界は基本的に別々に発展しており、本格的・持続的な協力体制を構築することはありませんでした。

4 団体発足のチャンス ②
二つ目は、1961年に国民皆保険制度が設立された時期です。明治以降の近代国家成立時期における医療保険の基本的考え方は、国家の維持、持続的発展に資することを目的とした扶助であり、最初は軍人のみ、次に官僚・大企業の従業員のみといった限定的なものでした。
国力が高まるに連れて適用範囲が徐々に拡大し、戦時体制下の1938年に設置された厚生省が、農家まで含めた国民健康保健制度を成立させました。しかしこれは任意加入制であり、元も医療が必要な貧困層には機能していませんでした。現在の皆保険制度がスタートしたのは経済復興が波に乗り始めた1961年のことです19)。
公的なサービスとして、検査・薬剤・手術を含む治療などを全国民を対象に普及することが目標とされ、高度経済成長の後押しもあり、高価な医療材を含め保険適応が次々と実現されていきました。この過程で、説明用のコンテンツの制作・購入に保険が適応されていれば、現在のMiの姿は大きく変わっていたでしょう。
そこに不足していたのは「限られた医療リソースを有効に活用するために、医療者は患者個人の状態に応じて、様々なメディカルコンテンツの提供を通して、医学に基づいた患者情報を分かりやすく理解できるように説明する。また医療の主体である患者・家族を含む生活者自身が、自分たちの問題として人体の生理と病理の仕組みを学び、情報の提供を受けた上で、治療の効果と限界、副作用を理解しながら、積極的に医療に参画する。」という視点であったといえるでしょう。
これまでの医療保険適用項目の中には、説明に必要な準備や労力、コンテンツの制作・購入は含まれませんでしたし、時代が流れ疾病構造が変化し生活習慣病が多くを占めるようになってからも、その構造は変わらなかったと言えます。
1997年に医療法改正によって、「医療者は適切な説明によって患者の理解を得るよう努力する義務がある」ことが明文化されましたが、そこに保険点数は配分されていません。確かに多くの医療者が自助努力により説明の義務を果たしてきましたし、パターナリズムの時代より随分前進したことは疑いありません。
しかし歴史的に経済は根幹で医療を規定してきました。集団の経済活動を維持し、その上で医療福祉分野に使える財源を効果の見込める検査・治療に用いることが優先されます。経済の枠の中で医療者の思考もおのずと現物支給の発想に流れがちでした。
しかし医療の対象は独自の感情と思考を持ち、生活を営む人間です。今日、慢性期の病態が病の多くを占め、高度高齢化の中で医療財政の緊縮により高額医療保障やフリーアクセスの存続が危ぶまれています。「与えられる医療から選択・参加する医療へ」の転換20)が求められる中、これまで病院において二次的に扱われがちであった説明と納得の部分が、多くの人に不足感として体感されてきていると思わます。
5 団体発足のチャンス ③
三つ目は1980年代、サイエンスブームによりビジュアル総合科学雑誌が多く創刊された時期です。当時日本は、半導体をはじめとした科学技術の進展と、公害問題への対応の広がりなどを背景に、国民の科学全般に対する関心の高まりが起こりました。1970年には大阪万国博覧会が、1986年にはつくば科学万博が開催されています。医療分野でも1974年に国立公害研究所、1977年に国立循環器病センターが開設されました。
そんな中、1981~82年にかけて8誌もの一般向けビジュアル科学雑誌が創刊されました。その結果、1970年には500万部弱であった科学雑誌の総発行部数が、1982年には1701万部にまで急増しました21)(表3)。

この国民的な支持を背景に、多くのサイエンス・メディカル分野のイラストレーターが生まれました。彼らは一般向けの科学雑誌、医学雑誌、製薬会社の広報、医学専門誌などで活躍し、世界トップクラスのイラストレーターも現れました。現在のMiのイメージは彼らによって作られてきたと言えます。現在もキャリアを継続しているベテランイラストレーターの方々もこの時期から仕事を始めた人が多く、この時期にMiの団体が旗揚げされてもおかしくありませんでした。
しかし実際は、数年のうちにこれらのビジュアル科学雑誌は次々と休刊・廃刊し、1990年にはブームの前の数に戻ったのです。現存する科学雑誌はNewtonのみですが、2017年2月に多額の負債を抱え民事再生法の適用を申請しました。科学雑誌全体の総発行部数は最盛期の1701万部から2000年には570万部にまで減少しています。ここでもMiの団体が作られることはなく、サイエンスブームは去ったのです。
日本の経済力が奇跡のように高まっていくこの時期に、なぜMi分野のしっかりとした体制が作られなかったのでしょうか。私は現代の状況にもつながる4点の原因を考えます。
1点目は、国民の科学全般への関心の低さです。アメリカにはScientific Americanなど一般向けの科学雑誌が複数発行されており、メディカルイラストレーターの活躍の場となっています。日米における人口当たりの科学雑誌の発行部数を比較すると、サイエンスブームの時こそ数が増えたが、それ以外の時期では10倍以上の開きをもって日本が少ないです21)。
また2001年の調査では国民の新たな医学的発見への関心度は、先進15カ国中、日本は12番目と下位でした22)。日本国民の科学知識獲得の手段はテレビと新聞が多くを占めており、より多くの情報を掲載できる雑誌の購読者数は少ないです。欧米と比べてイラストレーターだけでなく科学ジャーナリスト自体の数も少ない状態です。
2点目は、戦後GHQ(連合国最高司令官総司令部)によって行われた医療政策の影響です。具体的に行われたのは医学教育改革、モデル病院を含むアメリカ型医療提供体制の整備、欧米の最新医学の導入でした23)。
この時、すでに数十年の蓄積のあったアメリカのメディカルイラストレーターたちの手による精緻な医学書(グレイ解剖学、ネッター解剖学、グラント解剖学など)が多数持ち込まれたはずです。当時の医学書出版に関わる人達の目には驚くべき質の高さに映ったことは想像に難くありません。実際、その影響を受けて戦後に作られた数少ない日本オリジナルの解剖学書には美術家と医学者が協力して制作した極めて高いレベルのコンテンツが残されています。
しかしその熱気は後世に継続することがありませんでした。厚生省は上記の医療改革を実行する中で、我が国独自の医学教育コンテンツを制作する体制を整備することはなかったし、大学医学部が協力してメディカルイラストレーターを育成する体制も作られませんでした。輸入すれば済むものに、あえて資源を費やす発想は生まれなかったのでしょう。
3点目は、この時期にCT、MRIの爆発的普及が始まったことです。1975年に国産CT第一号が設置され、1982年にMRIが初めて国内に導入されました。その後、年間数百台の単位で増設・普及し、2016年にはCTの国内台数が13,636台、MRIは6577台と普及率世界一となっています24)。
苦労して描かなくとも、短時間に体内の様子を克明に画像化できたことは、医療者のMiに対する価値観を相対的に低下させたことは間違いありません。当時のメディカルイラストレーターの不安と戸惑いが想像できます。
一方、欧米のイラストレーター達にも同様の波が押し寄せ、実際に雇用が削減されるなどの影響があったことが知られている。しかし彼らは国民の医学への関心の高さと、職能団体としての層の厚さ、整った教育体制に支えられながら、細胞レベル・遺伝子レベルの描画や公衆衛生・患者教育などの新たな需要に応えるべく表現を開拓していきました。またCT・MRI画像をも表現の中に取り込み、現在の興隆につながっているのです。

4点目は、医療系出版社のメディカルイラストレーターを育成する意識がアメリカに比して弱い点です。元々日本語で発行される医学書の部数は多くないため、制作にかけられる予算がアメリカに比して少ないです。イラストレーター側も専門教育機関がなく、世代の層が薄く横のつながりもないため、生涯教育体制が整備されていません。個人の努力で学習し制作するしかありませんでした。
この影響は日本固有の悪習とも言うべき次の点に現れています。一つは医学書を制作する際に、イラストレーターと医師が直接情報のやり取りをせず、間に発注者や編集者を挟む制作形式です。もう一つは欧米の一流医学書では考えられないことですが、医学書の執筆者一覧の中に、メディカルイラストレーターの名前が掲載されないことです。Mi無しでは成り立たない書籍の場合でも、巻末に小さな文字で掲載されれば良い方で、巻頭に医師と肩を並べて名前が載せられることはほとんどありません。これまでの日本の歴史の中でMiが如何に軽んじられ、後回しにされ、育成されてこなかったかを明確に表す事実です。

医療者の不断の努力もあって、現代の日本は医学・医療の国際評価はトップクラスであり、またアニメ・漫画・絵画をはじめとするビジュアル文化は世界に広がっています。歴史に「もし」は無いが、本稿で考察したいずれかの時期にしっかりしたMi体制が作られていれば、世界に冠たるMi大国になっていた可能性はあったし、私は条件さえ整えば今でもそのポテンシャルを十分に持っていると考えています。
6 関連する団体活動の動向
東北大学研究推進・支援機構URAセンターの有賀先生によって、初めて日本におけるサイエンス・メディカル分野のイラストレーターによる団体活動の動向調査がまとめられましたので紹介します16)。
- 前出の「日本理科美術協会」は理科系画家の著作権の主張を主な目的として1958年に結成され、約30名の会員が加入し、著作権の擁護と展示会の開催を主な活動としています。http://www.rikabi.jp/
- 「日本ワイルドライフアート協会」は会員の相互研鑽と親睦交流、ワイルドライフアートの普及を目的として1994年に結成され、約116人の会員が展示を主体として活動しています。http://www.jawlas.jp/
- 「美術解剖学会」は人体の多様な形態研究とそれらの持つ美の理論的・実践的な研究を目的として1994年に結成され、約192人の会員が年会の開催と雑誌の発行を主な活動としています。https://www.geidai.ac.jp/soc/saa/about.html
- 「サイエンス映像学会」は科学映像・画像についての情報交換を目的として2008年に結成され、約100名の会員が研究会開催や論文集の発行を行っています。http://www.svs-j.org/
- 「日本サイエンス・ビジュアリゼーション研究会」は科学と芸術の癒合、分野の発展と交流を目的として2010年に結成され、約500人の会員が主にフォーラムや講演の開催を行っています。https://www.geijutsu.tsukuba.ac.jp/~jssv/
- 「日本美術解剖学会」は美術解剖学の研究と交流を通じて、美術の制作、作品研究に寄与することを目的として2010年に結成され、約150人の会員が研究大会を開催しています。https://www.geidai.ac.jp/labs/artistic-anatomy/about1htm.htm/about2.html
- 「サイエンスイラストレーションサマースクール」はサイエンスイラストレーションを学ぶ機会を提供し、ネットワークを作ることを目的として2010年に仙台市で開始され、20人の参加者がサイエンスイラストレーション制作活動を行っています25)。このスクールの第2回(名古屋大学開催)に私も参加しました。3日間の期間中、アメリカで長年活躍されてきたサイエンスイラストレーターの奈良島知行先生とアメリカのMi学科の大学教員による熱心な指導を直接受けることができました。多くの作品の展示もあり、コース終了後も奈良島先生による通信添削で作品を仕上げる(図3)ことができるなど非常に内容の濃いものでした。 https://www.med.tohoku.ac.jp/nsgcoe/ja/topicsDetails/sci_illust_2010/index.html

7 Mi分野の教育活動
これまで日本ではMiの教育・指導は個人的にイラストレーターが医師から指示を受けるか、イラストレーター間で個別に指導が行われるかが全てであり、教育機関による専門教育は行われたことがありませんでした。2011年、川崎医療福祉大学の医療福祉デザイン学科内にメディカルイラストレーションコースが設置されました26)。
川崎学園の創設者・川崎祐宣先生は日本で唯一の現代医学教育博物館を1980年に設置するなど医学のアウトリーチ活動に大変熱心であり、日本にも欧米に匹敵するMiが必要であることを、早い時期から説いていた方でした。川崎誠治現理事長の指示の元、メディカルイラストレーションコースが学部に開設されるにあたり、長年消化器外科・救急医学の分野でMiを制作してきたレオン佐久間先生を教授に迎え、2年間の修士課程もスタートしました。
http://www.kawasaki-m.ac.jp/mw/design/
同コースは少数教育体制で、学生は医学教育博物館や大学附属病院内での実習も体験できます。東京のMi制作会社などのインターンシップ先開拓も行われており、希望者はインターンを体験できるなど充実した教育内容となっています。アメリカのジョンズホプキンズ大学に初めてMi学科ができたのが1911年であり、それから丁度100年の節目の年に日本にもようやく公的なMi教育施設が開設されたのです。これは私が知りうる限り、アジア地域では初の快挙でもあります。これからの発展に大いに期待したいと思います。
また2016年には金沢医科大学にメディカルドローイングが選択科目として開設され、医学部一年生を対象とした授業が開始されました27)。これは「正確な描写力と立体的な空間認識力の習得」によって、医療現場に役立つ力を身につけようとするものです。考古学・復元画を専門とする美術家の末松智先生を講師とした計30コマのコースです。医学生のみを対象とした描画のコースは世界的にも珍しく、大きな可能性を秘めた試みです。
http://www.kanazawa-med.ac.jp/access-info/e-syllabus_web/pdf/m1/2019M54406.pdf
8 学会設立に向けて~第76回日本臨床外科学会
2014年11月に開催された第76回日本臨床外科学会に於いて、日本の医学史上初めてMiがメインテーマの一つに掲げられました28)。会長であった福島県立医科大学の竹之下誠一教授(消化器外科学)は「外科医にとって、ダヴィンチの時代の解剖スケッチから最新の3Dイメージング、分子レベルの表現までを俯瞰することは有意義であるし、外科学会として取り上げることがMiの発展にもつながる」とし、レオン佐久間先生を中心にプログラムが計画されました。会場フロアには国内及びアメリカのMi作品が数多く展示され、マックス・ブレーデルの作品も紹介されました。
http://www2.convention.co.jp/76jsa/illustration/index.html
外科医を対象としたMiのハンズオンセミナーも開かれ、予約枠を超える多数の申し込みがありました。イラストレーター・解剖学者らがパネラーとなったパネルディスカッションでは200人の会場に立ち見が出るほどの盛況でした(図4)。 筆者(明石)が司会を務めました。

この大会によって初めて、外科医の中にはMiを見ること、描くことに関心が高い人が多く存在することが明らかになりました。参加した医師及びイラストレーターの「団体を作ろう」という強い意向を受けて、Mi学会設立準備委員会が発足したのです。日本のMiの歴史に於いてこの学会が果たした役割は大変大きいです。
9 日本Mi学会設立準備委員会活動
準備委員会には医師とメディカルイラストレーターが同数参加しています。イラストレーターはレオン佐久間(川崎医療福祉大学)、佐藤良孝(彩考)、横田ヒロミツ(川崎医療福祉大学)。医師は森谷卓也(川崎医科大学・病理学)、末次文祥(末次医院・心臓血管外科)、筆者(唐津赤十字病院・病理学)です(敬称略、図5)。
発足当初より「日本にはMiの団体が必要である。医療者とイラストレーターが共に学び合い交流する学会にしよう」という一致した目標がありました。欧米の団体はMiの大学院を基盤としたイラストレーターの職能団体としての性格が強いです。私たちは日本のMi界の歴史と現状を踏まえ、Miに関心のある医療者を含むあらゆる人が垣根なく参加できる団体とし、職 能団体としての機能も並存させること、医療者もイラストレーターも共に成長できる団体とすること、美術系の制作者・研究者にもMiへの道を開くこと、また出版社の方々と一緒にこれからの日本のMiについて考えていくことが必要であると考えました29)。

学会設立までにMiの展示会と講習会を行いました。2015年8月、佐賀大学美術館において「知られざるメディカルイラストレーションの世界」と題し、国内初のMi単独の展示会を開催しました30)(図6)。
https://medmorphose.com/information/sagauni-museum-mi

22名のイラストレーター・医師の作品102点を展示したところ、脇役として扱われがちなMiを主役として美術館で展示する試みは成功し、1ヶ月間に4,390人の観覧者を記録しました。夏休み期間中でもあり親子連れでの来館が目立ち、医学的解説を添えたため他の美術展よりも在館時間が長い傾向が見られました。この結果、Miは一般の方々の関心を惹くテーマである事が示されました31)。展示期間中、一般向けのワークショップを2回開催し、神戸大学杉本真樹先生にお借りした3Dプリント臓器モデルを使用して、鉛筆でMi制作を体験していただきました。https://www.facebook.com/%E4%BD%90%E8%B3%80%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E5%B1%95%E7%A4%BA%E4%BC%9A-362745103900532/
その後これらの展示作品は、2015年11月に東京藝術大学美術学部・美術解剖学教室とMi学会準備委員会の共催で、「はじまりは久米桂一郎から~メディカルアート&イラストレーションの歴史と現在」展として東京藝術大学の大石膏室で展示されました32)。坂口寛敏先生と布施英利先生のご尽力で実現した本展示は、医学界と美術界がMiを通して接点を持った貴重な機会でした。
https://geidai-oil.com/exhibition/452
2016年9月、岡山県の津山洋学資料館にて「解剖図の世界~江戸から現代へ~」展が開催され、Mi作品の展示と講演を行われました33)。解剖図の変遷を通して江戸時代の医学と現代のMiが連続性をもつことが表現された展示となりました。
https://www.e-tsuyama.com/report/2015/09/post-972.html
第77回の日本臨床外科学会では、76回に引き続きMiのハンズオンセミナーを開催した。WACOM社の協力を得て液晶タブレットPCを使用し、予約枠一杯の17名の参加を得ることができました(図7)。

2017年12月の学会設立に向け、会則の決定、発起人の依頼、ホームページの制作、趣意書の作成、プログラム内容の計画、展示方法の考察、ポスター・チラシの作成を行いました。ポスターの配布先は医学系の学会、全国の教育病院、美術系大学・専門学校としました。
Miの対象は医療専門職だけでなく医療を受ける可能性のある人は皆が含まれます。また医学の専門領域全てが対象であり、作り手側も多彩なバックグラウンドを持っています。このため領域横断的な性格を有しており、統一性に乏しいです。さらに専門として研究発表している人がほとんどいない領域でもあります。
そのため学会の枠組みを構想することは骨の折れる仕事でした。しかし折に触れてイラストレーター、医師達から学会への期待の声を頂く中で、準備委員会のメンバーは思い描いてきた新しい学会の形を、それぞれの専門知を存分に活かしながら形作ってきたと考えています。
学会の設立主旨は「わが国におけるMiの発展を図り、メディカルイラストレーターの養成とMiの普及を通じ、医学、医療、福祉及び公衆衛生の向上に寄与すること」であり、活動骨子は「Miに関する学術研究の推進並びに学術集会の開催、医学・医療従事者への教育、育成事業、広報普及事業。メディカルイラストレーター養成と資格認定、更新に関する事業、質を向上させるための研修に関する事業、知財権の研究事業、など」です。
最後に、本学会は産声を挙げたばかりの小さな学会です。関心ある方々のご参集とご協力をいただき、多くの人にとって大切なものに育って欲しいと願っています。「日本は高い文化レベルと医学・医療レベルをもっている。世界に目を向けながら、この国にふさわしいMi体制を共に創ろう」と呼びかけて本稿を終えたいと思います。
引用文献
- ”特別展 医は仁術”、<http://ihajin.jp>(2017年10月20日アクセス)
- 有賀雅奈:日本のサイエンス/メディカル分野のイラストレーターによる団体活動の動向調査、科学技術コミュニケーション 2015、17:23-54
- 宮永 孝:日本における美術解剖学、社会志林 2004、50:116-170
- 浜松医科大学麻酔・蘇生学講座「麻酔の歴史」, <http://www.anesth.hama-med.ac.jp/Anedepartment/masuinorekishi.asp>(2017年10月20日アクセス)
- 菊池一久(2002)「社会保障のそもそもの成り立ち 第1回 社会保障の歴史」, <http://www.ls2.jp/health/column01/social-security/01.htm>(2017年10月20日アクセス)
- 真野俊樹:医療危機-高齢社会とイノベーション、中公新書 2017、231-245
- 大沼清仁、植木 勉、平野千博ら:我が国の科学雑誌に関する調査、科学技術政策研究所 第2調査研究グループ 2003、097
- 岡本信司、丹羽富士雄、清水欽也ら:科学技術に関する意識調査、科学技術政策研究所 第2調査研究グループ 2001、072
- 堀籠 崇:GHQによる占領期医療制度改革に関する史的考察-医学教育制度・病院管理制度を中心として-、医療経済研究 2008、20:35-48
- 前田由美子:医療関連データの国際比較-OECD Health Statistics 2016-、日医総研ワークングペーパー 2016、370
- ”サイエンスイラストレーションサマースクール in Sendai 2010”, <http://www.med.tohoku.ac.jp/nsgcoe/ja/topicsDetails/sci_illust_2010/index.html>(2017年10月20日アクセス)
- ”川崎医療福祉大学 医療福祉デザイン学科”, <https://w.kawasaki-m.ac.jp/dept/management_dm/>(2017年10月20日アクセス)
- 本田康次郎:「メディカルドローイング」導入の経緯 医学部初年時教育の標準型を目指す模索、金沢医科大学報 2017、169:9-13
- ”第76回日本臨床外科学会総会 メディカルイラストレーションとは”, <http://www2.convention.co.jp/76jsa/illustration/medicalillustration.html>(2017年10月20日アクセス)
- 日本メディカルイラストレーション学会設立準備委員会:2016「趣意書」, <http://www.medical-illustration.jp/pdf/syuisyo2016.pdf>(2017年10月20日アクセス)
- ”佐賀大学美術館「知られざるメディカルイラストレーションの世界-描かれたからだの神秘-」, <https://museum.saga-u.ac.jp/exhibition/147>(2017年10月20日アクセス)
- 佐賀大学美術館メディカルイラストレーション展事務局:2015「佐賀大学美術館『知られざるメディカルイラストレーションの世界-描かれたからだの神秘-』展 報告書」, <https://docs.com/user200328/1446>(2017年10月20日アクセス)
- ”【東京藝術大学特別展示】はじまりは久米桂一郎から-メディカルアート&イラストレーションの歴史と現在”, <http://geidai-oil.com/exhibition/452>(2017年10月20日アクセス)
- ”津山洋学資料館秋季企画展 解剖図の世界-江戸から現代(いま)へ-”, <http://www.e-tsuyama.com/report/2015/09/post-972.html>(2017年10月20日アクセス)
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